京都地方裁判所 昭和41年(わ)861号 判決 1966年11月10日
被告人 斉藤高行
主文
被告人を懲役四月に処する。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、
第一公安委員会の運転免許を受けないで、昭和四一年三月四日午後零時三分頃、京都市下京区堀川通菱屋町百四十一番地先路上において、普通乗用自動車を運転し、
第二自動車運転を業としていたものであるが、前記日時頃、普通乗用自動車を運転して、前同所附近の北小路通堀川交差点に東方からさしかかり、堀川通を右折北進しようとして、同交差点手前で一時停車したところ、およそ、このような場合に自動車運転者としては、広い堀川通における車両の交通状況をよく確め、特に南行車両の動行をよく注視して、これとの衝突事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるにもかかわらず、これを怠り、不注意にも、数台の南行車両が前面を通過したあと、その後続車両はないものと軽信し、北行車道上における車両の交通のみに気をうばわれ、漫然約五キロメートル毎時の速度で発進し、右折北上するため南行車道を横断しようとした過失により、おりから、南行車道上を南進してきた中井和夫運転の第一種原動機付自転車の接近に気がつかないで、自車前部を右自転車の前部左側に衝突させて、同人をその場に転倒させ、よつて、同人に対し、全治約二週間を要する左下肢打撲挫創、両側肘部前膊挫傷、後頭部挫傷の傷害を負わせ、
第三前記日時頃前記場所において、前記のように、自分の運転していた自動車の交通による傷害等の事故を惹き起しながら、右交通事故の発生した日時及び場所等所定の事項を、直ちに、もよりの警察署の警察官に報告しないで退避し、
第四前記第二の交通事故を惹き起したため、自分の無免許運転の事実が露見することをおそれ、弟斎藤幸二を犯人の見代りに立てて、交通事故による罪責を免れようと企て、前同日午後一時三十分頃、同区土手町通七条上ル重城医院において、斎藤幸二に対し、前記交通事故は同人が惹き起したよう警察官に届け出て、自分の身代りになつて貰いたい旨依頼して、同人をそのように決意させ、同人をして、右決意にもとづき、同日午後二時二十分頃、同区七条通堀川交差点南所在の京都府七条警察署七条堀川巡査派出所前において、同署勤務巡査橋本静夫に対し、自分が前記交通事故を惹き起した自動車の運転者である旨、虚偽の申告をさせて犯人隠避を教唆し
たものである。
(証拠の標目)<省略>
法令の適用
被告人の判示第一の所為は道路交通法第百十八条第一項第一号、第六十四条に、判示第二の所為は刑法第二百十一条前段に、判示第三の所為は道路交通法第百十九条第一項第十号に、判示第四の所為は刑法第百三条、第六十一条第一項にあたるので、各所定刑中、判示第二の罪については禁錮刑を、その余の罪については懲役刑を各選択し、以上は同法第四十五条前段の併合罪の関係にあるので、同法第四十七条、第十条により、最も重い判示第四の罪の刑に併合罪の加重をした上、その刑期範囲内において被告人を懲役四月に処する。
弁護人の主張に対する判断
一 弁護人は、被告人は本件交通事故を惹き起して後、負傷者を自ら病院に運び入れて救護の措置を講じ、且つ、事故現場における交通秩序の回復についても、支障を来していないから、当該交通事故が発生した日時及び場所等を、警察官に報告する義務はない旨を主張する。
なるほど、被告人の司法警察員に対する各供述調書、及び医師重城良一の診断書等によれば、被告人は、本件交通事故が発生して後、負傷者である中井和夫を、直ちに、自分の運転していた自動車に乗せて、京都市下京区土手町通七条上ル重城医院に運び入れ、医師重城良一の診察を求め、治療の措置を講じたこと、及びその当時、負傷者中井和夫の運転していた第一種原動機付自転車が、事故現場附近の民家の軒下に存置してあつたほかは、特に、交通秩序に支障を来していたような情況ではなかつたことが認められる。
しかし、道路交通法第七十二条第一項の規定は、その趣旨が、道路における危険の防止と、交通の安全円滑な運営とをはかろうとするにある点に鑑みると、交通事故が発生した場合には、当該運転者等が、同条項前段に規定する負傷者の救護や、道路における危険の防止等必要な措置を講じた場合であつても、なお、人身の保護と、交通の取締の責務を負うべき警察官をして、負傷者の救護と交通秩序の回復について、即時適切な措置をとらせ得るようにするため、右救護等の措置を講ずべき義務とは別個独立に、同条項後段の規定により、交通事故が発生した日時及び場所等の報告義務を、運転者等に課したものと解するを相当とする。
したがつて、被告人は、たとい、負傷者中井和夫を、直ちに重城医院に運び入れ、医師の診察を求めたとしても、なお、本件交通事故が発生した日時及び場所、負傷者の数及び負傷の程度、当該車両の措置、並びに負傷者を医院に運び入れて、医師の診察を求めたこと等所定の事項の具体的事実を、直ちに、もよりの警察署の警察官等に報告すべき義務を免れることはできないものといわなければならない。
一 弁護人は、被告人は、弟斎藤幸二から警察官に対し、本件交通事故の申告をさせているのであるから、同条項後段の規定による報告義務は尽している旨を主張する。
そこで、被告人及び斎藤幸二の検察官及び司法警察員に対する各供述調書に、司法警察職員の捜査に関する各報告書を照し合せて考察するに、被告人は、判示認定のように、昭和四一年三月一四日午後零時三十分頃交通事故を惹き起して後、負傷者中井和夫を、直ちに、自分の運転していた自動車に乗せて、同日午後零時五十分頃前記重城医院に運び入れたが、自分の無免許運転の事実が露見することをおそれるあまり、同日午後一時過頃、弟斎藤幸二に電話をかけて呼びよせ、約十分後にかけつけた幸二に対し、本件交通事故を惹き起したことの身代りになり、その旨警察官に届け出るように依頼してこれを承諾させ、幸二は、同日午後二時二十分頃、本件交通事故現場より約五十メートル離れた京都府七条警察署七条堀川巡査派出所前に赴き、同所に居合せた警察官に対し、自分が交通事故を惹き起した自動車の運転者である旨を申告したことが明らかである。すなわち、被告人は、本件交通事故が発生した日時及び場所等所定の事項を、自ら直接的に警察官に報告したと認めるべき形跡はなく、ただ、幸二に依頼して、犯罪事実の身代り申告をさせたに過ぎないのである。
もとより、同条項後段の規定による報告は、運転者等が、常に自ら警察署に出頭して、その報告をなすことを必要とせず、機宜に応じて、電話を利用し、または、人に依頼してこれをなすことを妨げるものではないと解すべきであるが、前記のような、被告人の依頼による犯罪事実の身代り申告があつた場合に、これによつて、果して、被告人が幸二に依頼して、負傷者の救護等に関する必要事項の具体的事実を報告させたものとして、同条項後段の規定による報告義務を、尽したものと認めることができるであろうか。
おもうに幸二が警察官に対してなしたような犯罪事実の申告と、同条項後段の規定による報告とは、これをなすべき者の、主観的な意思表示の存否等要件上の違いがあつて、その性質を異にし、その内容とする事項もまた、必ずしも同一でないものがあるので、前者の申告が、常に直ちに後者の報告となり得るものと解すべきでなく、また、前者の申告中に、後者の報告が当然に包含されているものと解すべきでもない。もつとも、同条項後段の規定による報告は、単に、事実を客観的な見地より告知すれば足り、殊に、自分が交通事故を惹き起した自動車の運転者である旨等の、主観的事実のそれは、敢てこれをなすべき義務はなく、また、それが依頼による報告の場合であつても、その依頼による旨を附加説明する必要はないものと解するので、運転者等から、交通事故の身代り申告の依頼を受けた者が、警察官に対し、自分の犯罪事実としての申告をなした場合に、その依頼の趣旨内容及び申告した事項の具体的事実の如何によつては、運転者等の依頼により、同条項後段に規定する事項の報告がなされたものと解することは、あながち、これを否定し去るわけにいかないものがある。そこで、これを本件についてみるに、被告人が幸二に依頼した趣旨は、交通事故を惹き起したことの身代り申告であり、幸二もまた、警察官に対し、自分が交通事故を惹き起した自動車の運転者であつて、中井和夫に怪我をさせた旨を申告した程度にとどまるのであるから、本件の場合に、右のような程度の申告をもつてしては、被告人が幸二に依頼して、同条項後段の規定によつて課せられた諸事項の具体的事実を報告させ、その義務を尽したものと解することはできないものといわなければならない。
しかも、運転者等のなすべき報告は、同条項後段の規定によつて明らかなように、警察官が交通事故の現場にいないときは(本件の場合、警察官はその現場にいなかつたことが認められる)直ちに、もよりの警察署(派出所または駐在所を含む)の警察官にこれをしなければならないところ、幸二のなした申告は、前記のように、被告人が負傷者中井和夫を重城医院に運び入れた同日午後零時五十分頃より、約一時間三十分を経過した同日午後二時二十分頃のことに属し、その間、身代り工作等に時間を徒過したのであるから、幸二の申告が、たとい被告人の依頼によつてなされた報告とみられ得る場合であるとしても、とうてい、直ちに(遅滞なく速かに)その報告をなしたものと解することはできない。
一 以上いずれの点よりするも、弁護人の右主張は、これをとることができない。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判官 橋本盛三郎)